企業沿革 創業100年 榊組の歩み

代表取締役会長 故 榊 典子(さかき のりこ 1929-2014)

創業者の娘として、そして設立者の公私におけるパートナーとして、榊組の成長と共に歩んだ85年。故榊典子は物事の指南役であり、榊組の象徴的な存在でもありました。創業100年の節目に綴った言葉をご紹介させて頂きます。

この度、榊組は平成26年の新年と共に創業100年を迎えることができました。
大正3年1月17日 福岡県で創業した私の父与八は、昭和23年に自身の型枠施工技術を「強み」に東京へ進出、拠点を移しました。
故郷の九州から関東へ。
地縁のない中で困難な事もありましたが、家族、親族、同郷の仕事仲間たちと一丸となって、一歩、一歩、経営基盤を広め、固めてまいりました。
そして、あらたに出会った方々による語り尽すことのできない程のご厚情をいただきながら、昭和32年に夫の学により有限会社になり、昭和41年に株式会社となりました。
その成長の背景として、戦後日本の飛躍的な発展が、建設業界に爆発的な需要の伸びをもたらした、という好条件があったことは言うまでもありません。
ですが、いつも追い風の中で、順風満帆と帆を広げていたわけではございません。
好景気、不景気の波をいくつも乗り越え、不況という風雪吹きすさぶ中で、じっと耐えねばならない冬の時代もあり、また、戦略的失敗やトラブルなどで艱難辛苦をなめたこともございました。

そして、ご縁があって出会えた皆さまのお力をお借りしながら、
全ての試練を糧として進み続け、迎えることのできた「創業100年」でございます。
「型枠の榊」として、初代与八から連綿と受け継がれた技術と文化の伝承と、 設立者学の信条である「一期一会」を経営理念の根幹とし、これからも精進してまいる所存でございます。

今後とも、皆さま方の倍旧のご支援とご鞭撻を賜りますよう、
心よりお願い申し上げます。

1910年代
1914年(大正3年)
創業者 榊 与八(さかき よはち:1889-1958)創業者 榊 与八(さかき よはち|1889-1958)

榊 与八が福岡県八幡市大字尾倉において一般建築の型枠工事を主に榊組を創業。
当時地元のみならず満州ハルピンや、大韓帝国平壌などからの受注へも対応。技術力と必ず工期を守ることを理念とし、信用と人脈を築いていく。

1940年代
1948年(昭和23年)
与八、妻 ツモと皇居前にて上京記念写真与八、妻 ツモと皇居前にて
上京記念写真

・品川専売局 倉庫工事
藤田組より請け負う。
これを機に、妻と職人とともに上京し拠点を東京に移す。

1950年代
1950年(昭和25年)

・東京温泉(銀座6丁目)工事
階段の施行技術を高く評価され、藤田組の名義人(一次請け)を得る。

正面玄関正面玄関
階段階段
完成図の看板前完成図の看板前
1951年(昭和26年)
(株)榊組 設立者 榊 学(さかき まなぶ:1925-1988)設立者 榊 学(さかき まなぶ|1925-1988)
<当時務めていた刑務官練習所前>

与八の長女(典子)の夫、学は義父与八から労務管理を頼まれ快諾。
それにより、勤めていた刑務官を辞職し榊組へ参画。
妻子と共に福岡から上京、全く未経験の建設業へ。
型枠工事を与八の元で一から学ぶ。

・東京都練馬区北町予備隊工事(倉庫)
職人200人態勢で挑む最初の大型工事となった。

倉庫倉庫
榊 学。当時の仲間と。榊 学。当時の仲間と。
1952年(昭和27年)

・中央鉄道学園工事(東京都国分寺市)
中央鉄道学園は、国鉄の教育施設として1961年(昭和36年)までは「中央鉄道教習所」の名称であった。
1987年(昭和62年)国鉄の分割民営化に伴い、国鉄の債務を返済する目的で閉鎖され、敷地は売却された。
その学園内の各教育施設の工事を、10数年に及び施工する事となる。
与八、ツモ、学と典子、その長女は九州から呼び寄せた親族を含む職人たちとその家族と共に、現場内宿舎で寝食を共に生活する。
長女の小学校入学を機に宿舎から国分寺駅北口の借家へと移住するまで、この宿舎を拠点とし、会社組織の体制基盤を固めていく。
他の現場も多数同時進行で受注。地元の職人も加わり高度成長時代へと突き進む。
現社長 元次郎と榊組の出会いもこの学園現場であった。
元次郎は、昭和39年に長崎より造作大工としての修行のため上京。この学園宿舎に入り、数年造作工事に携わった。(昭和30年~昭和50年代は、榊組は造作工事も請け負っていた。)

榊 学 看板前にて榊 学 看板前にて
工事中工事中
お世話になった監督さんお世話になった監督さん

福岡から共に上京した与八の弟子たち。
後に大半が各自独立し、事業主となり、互いに協力し合うこととなる。

飯場前にて典子と長女 悦子(現社長の妻)飯場前にて
典子と長女 悦子(現社長の妻)
与八と悦子、愛犬チビ与八と悦子、愛犬チビ
(写真中央 学)(写真中央 学)
1953年(昭和28年)

・ニュージーランド公使館工事(麹町)
・東京都北多摩郡国分寺町大字に移転

1955年(昭和30年)

・羽田空港滑走路工事
当時は突貫工事のため、深夜作業も珍しくなかった。

滑走路にて滑走路にて
月明かりの中での真夏の突貫工事(写真中央 学)月明かりの中での真夏の突貫工事
(写真中央 学)
1956年(昭和31年)

・東洋工業製品倉庫月島工事
【写真の裏面にあった学の詩】
月島現場の思い出
二月の寒風に吹かれて工事は着々と進行して行く
六月には五階建てが完成するのかと思えば我が心又落ち着かず
河岸に着くマグロ船がネオンの光に消えてゆく
勝鬨橋が船の合図と共に開くのもまた見ものである
僕たちはまた一つ歴史を作ったり

写真の裏面にあった学の詩写真の裏面にあった学の詩
右榊学工事現場前で右榊学工事現場前で
1957年(昭和32年)
設立 ~榊組 さらなる挑戦~
当時の社屋当時の社屋

2月19日有限会社榊組を資本金10万円で設立(東京都国分寺市)。
代表取締役に榊 学が就任

1960年代
1962年(昭和37年)

規模拡張と業務合理化の為、本社を国分寺市から現所在地である東京都府中市武蔵台1-30に移転

1966年(昭和41年)
当時の社屋当時の社屋

5月28日
資本金30万円で株式会社に変更

得意先(取引会社)を積極的に開拓。
ここから首都圏の学校・団地・病院等の施設関連の型枠工事を中心に受注を増やしていく。

1970年代
1970年(昭和45年)

MSグループ会発足(協力業者親睦会)

1972年(昭和47年)
当時の事務所風景当時の事務所風景

・青梅市立第四、第五中学校統合工事
現社長 元次郎入社。

1974年(昭和49年)

小平朝鮮大学食堂棟工事
八王子市館町団地第七住宅工事

1978年(昭和53年)

業務拡充の為6か所の資材センターを配備。
型枠資材搬入出のスタッフ部門である資材部を設けることにより、車輌(トラック)を増車。社員数も増え、業務拡充のため資材センターは6ヶ所となる。

本社 東京都府中市
青梅置場 東京都青梅市
砂川置場 東京都立川市
厚木置場 神奈川県伊勢原市
国分寺置場 東京都国分寺市
武蔵村山置場 東京都武蔵村山市
1980年代
1981年(昭和56年)

関連会社として、(株)ミノワ興業設立
(資本金300万円。代表取締役 榊 典子)
(2000年 平成12年 休眠)

MSグループ会をMS友和会と改称。
協力会社が主体となって会の運営にたずさわる。
総会、安全大会をはじめ、行事を通して皆の強い連帯感が深まる。

公共事業受注に向け、総合建築部を設け、積極的に入札に参加。
これにより型枠工事部と二本柱になる。

社員と協力会社間との絆が強まるレクリエーション大会社員と協力会社間との絆が強まる
レクリエーション大会
当時の榊組社員ソフトボールチーム当時の榊組社員ソフトボールチーム
初代MS友和会会長 故 青野 詮氏初代MS友和会会長 故 青野 詮氏

・都営56M-1301,1302,13013工事

1986年(昭和61年)

・東京都多摩動物公園昆虫館温室群改造工事

1988年(昭和63年)

・多摩NT1-10A-1ブロック第3住宅工事

本社前小学校校庭にて晩年の榊学 この年の9月にがんにより逝去(写真は4月)本社前小学校校庭にて晩年の榊学
この年の9月にがんにより逝去(写真は4月)

榊 学逝去により
榊 典子が代表取締役就任

学の三人の孫により学の胸像の建立除幕式。現在も本社二階フロアーで見守る。学の三人の孫により
学の胸像の建立除幕式。
現在も本社二階フロアーで見守る。
夫唱婦随で設立した株式会社榊組。夫の信条「一期一会」を引き継いで典子社長へ、その想いを肖像画に。(本社会長室)夫唱婦随で設立した株式会社榊組。
夫の信条「一期一会」を引き継いで
典子社長へ、その想いを肖像画に。
1989年(昭和64年)(平成元年)

・白浜ヴィラ新築工事

1990年代
1990年(平成2年)

八王子資材センターを配備
新社屋 完成

1991年(平成3年)
都立府中工業高校工事

・都立府中工業高校工事

1994年(平成6年)

・府中市四谷に寮を設置

1996年(平成8年)

西多摩郡瑞穂町に基幹資材センターを配備し、既存資材センターを統廃合する。
【資材センター】
八王子センター
青梅センター
瑞穂センター

2000年代
2001年(平成13年)

パソコンの本格導入、社外向けホームページ開設

2002年(平成14年)
厚生労働省上石神井庁舎電算棟建築工事

・厚生労働省上石神井庁舎電算棟建築工事

1991年バブル崩壊後、社会の構造不況・建設業界再編の波にもまれながらも、
変革期を生き抜く「型枠の榊」。
オンリーワンとして生き残りをかけ、様々な決断をする。
■ 総合建築部の縮小(1999年)
■ (株)ミノワ興業 休眠(2000年)
■ 公共工事入札からの撤退(2013年)

2007年(平成19年)

榊 典子が代表取締役会長に就任
榊 元次郎が代表取締役社長に就任

2010年代
2014年(平成26年)
おかげさまで創業100年

榊組
創業100年を迎える

創業100年。榊組が歩む道は、これからも続いていく。

~「創業百年」長い歴史の中を共に綴りて~

想えば、旧来の社会構造「士・農・工・商」と云う、枠組を改め、転業の自由、改姓の自由等の大変革をもたらした明治維新。
その中で「士・農・工・商」のいずれにも属さない「豪族」の榊一族は、夫々の分野に明日を求めて全国へ散って行きました。

その一つに土木建設を業とし「榊組」を創設した榊与八様。
困った人からは、代金を回収しない、好人物が災いしてビジネスとしては成功しなかったが中興の祖 榊学様(二代目)が夫人の典子様(のちに三代目)と文字通り苦難の道を切り開かれ、三代、四代と代を重ねての創業百年。
今や業界屈指の企業になり、尚、前進を続けらていることは、誠に慶賀の至りであります。

その成功の因は、一貫として流れる「豪族」の「負けてなるものか」の不屈の姿勢の土台と先見性にあるものと考えます。
企業の平均寿命は「五年」の環境の中の百年は素晴らしいですが、これからもまだ「通過点」とお考えであると感じ、益々の御清栄を祈念する一人でありたいと思います。

平成二十五年十二月二十七日

経営コンサルタント(株式会社榊組 監査役) 金田 吉弘
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